Eternal triangle
大英帝国の首都ロンドンは、総じてあまり天気の良い土地ではない。 けれど、夏の気配が見え始める時期には、さすがの雨雲も遠慮してか、暖かい日差しがふんだんに降り注ぐようになる。 直接浴びるにはきつくなりつつある日差しも、木の葉の間を通して降ってくるとまるで宝石の欠片のようにキラキラと輝き美しい。 そんな日差しに彩られたハリントン学園の中庭は、それはそれは居心地がいいわけで、お昼休みを迎えた今、くつろぐ生徒達が一杯・・・・のはずが。 「・・・・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・」 「・・・・すー・・・・」 中庭は実に見事な静けさに包まれていた。 いや、もちろん、日差しに惹かれて生徒がやってはくる。 くるのだが、中庭に漂う謎の緊張感を本能的に察知して、自然と回れ右で逃げていってしまうのだ。 結果として、広いはずの中庭にはこの緊張感の原因たる男子生徒二人と ―― その二人のあいだで呑気に寝息を立てている女子生徒が一人しかいなくなってしまった。 チチチッ、ピピピッ・・・・。 「・・・・すー・・・・」 学園の生徒達が思い思いに昼休みを過ごす遠い雑踏と、梢にとまる小鳥のさえずり。 それとダンスをするように、気持ちよさそうにこぼれる女子生徒 ―― エミリー・ホワイトリーの寝息を聞きながら。 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 エミリーの頭越しに、もう何度目かの鋭い視線を、男子生徒二人 ―― ジャック・ミラーズとジャン・ルーピンはぶつけあった。 そしてややあって、ジャックがうんざりしたようなため息をついた。 「・・・・つか、なんなんだよ、この状況。」 「そ、それは・・・・僕、のセリフです。」 気弱な生徒の口調のまま、それでもきっちり言い返してきたルーピンに、ジャックはうさんくさそうな目を向ける。 「へえ・・・・じゃあ、お前にとってもこの状況は予想外だってのかよ。」 「僕はただ・・・・ミス・ホワイトリーにお昼を一緒にと誘われたから来た、だけで。」 そう言ってルーピンが目をおとした先には、確かにランチボックスが置いてあった。 そう、この奇妙な状況の原因は数十分前の、今は気持ちよさそうに眠っているエミリーの行動に端を発している。 たまたま今日のお昼前最後の授業で教室移動があり、その移動中、偶然一緒になったジャックにエミリーが「今日みたいな日は外でランチがしたいわね」と話しかけたのだ。 イーストエンド育ちで、食事の状況など構ったことがなかったジャックなのでその感覚がよくわからず「そんなもんか?」と返したのが、彼女のなにがしかのスイッチを入れてしまったらしい。 もっとも、「絶対に気持ちが良いから、一緒に中庭でお昼にしましょう!」と満面の笑顔で言われてしまっては、エミリーに惹かれている自覚のあるジャックに断る術などあるわけがなかった。 しかし、ジャックにとってもルーピンにとっても予想外だったのは、エミリーが同じような流れでルーピンもまた、中庭ランチに誘っていたという点だろう。 彼女にとって見れば、仲の良い友人を二人誘うことは別になんの問題もなかったのだろうが。 「・・・・よりによって、お前と飯を食うはめになるなんてな。」 エミリーが気持ちの良い陽気に誘われて、夢の国へ旅立つまでは大人しく押さえていた不快感を垂れ流しでジャックはルーピンを睨め付けた。 普段のルーピンであれば、殺気さえこもっていそうなその視線にびくりと肩をすくませるところだが。 「・・・・それは僕のセリフだってさっきも言ったはずだ。」 ルーピンの時とは違う、明らかに芯のあるやや低めた声に、ジャックは立てた膝に頬杖をついて、ふんっと鼻をならした。 「やっと猫をぬぎやがったか。」 「君のように不躾に、彼女と接するような真似はしたくないんでね。」 ひやっと、一段と緊張感が増した。 この人畜無害そうなジャン・ルーピンという男が、裏の顔を持っているとジャックが気がついたのは大分前だ。 同じくルーピン・・・・ルパンもまた、ジャックがどういう男か気がついている。 ただ、これまでは互いに興味がなかった。 お互いに相手にどんな過去があろうと、どんな事をしていようと、自分には関係がなかったし興味もなかったのだ。 けれど、それが変わったのは。 「・・・ん・・・」 「「!」」 二人のあいだでこっくりこっくりと船をこいでいたエミリーが、小さく呻いて、ジャックとルパンは同時に彼女を見る。 ストロベリーブロンドの髪に木漏れ日が輝いて、思わず目を奪われていると、エミリーの頭が小さく揺れて。 「あ」 「っ・・・!」 ジャックの肩へことん、とエミリーの頭が乗った。 普段はあまり顔色が良くないジャックの頬に赤みがさし、かわりに隠しきれなかった不愉快感がルパンの目に閃いた。 そう、ジャックとルパンは互いには興味がなかった・・・・エミリーとういう少女に相手が惹かれている事に気がつくまでは。 「ふうん、つれない眠り姫だね、君は。」 ジャックの肩へ寄りかかって再び安定した寝息を立てるエミリーを、ルパンがわざとらしくのぞき込んだ。 その視線から守るように、ジャックはエミリーの頭の位置をかるく直してやりながら言った。 「お前みたいなうさんくさい奴よりは、俺のがましだってことだろ。」 「・・・・言うね。」 視線で火花が散らせるなら、今、確実にラベンダー色のそれと深紅のそれの間で散っただろう。 気に入らない。 こればかりは認識が一致しているだろう、と二人とも思った。 エミリーを特別に思っている男は面倒な事に他にもいるが、中でも目の前の男は気に入らない。 「そもそも君、スペルバウンドの暗殺者は廃業したの?」 お天気の良いお昼休みの会話に飛び出すには物騒すぎる単語だったが、幸か不幸か周りに二人の会話を聞いている者はいない。 もちろん、それをわかった上でのルパンのセリフではあるが、ジャックはひどく嫌そうに顔を顰めた。 「お前の事だ・・・・もう、聞いてるんだろ。」 「うん?僕が知っているのは薄汚い組織の犬が一匹、英国政府の犬に鞍替えしたって話だけだけど?」 「知ってんじゃねえか。なら・・・・わざわざ聞くな。」 ふん、とつまらなさそうにジャックは鼻を鳴らした。 エミリーの両親の死の真相に迫る事件を解決した時に、彼女のとんでもない執事とジャックの間で取り交わされた話を当たり前のように言ってくるあたりがこの怪盗の気に入らないところだ。 と、思ったところで、ジャックは思い出したように顔をしかめた。 「だいたいてめえは、あんなくそ恥ずかしいカードなんか残していきやがって・・・・」 嫌な事を思いだしてしまった、という顔でそういうジャックに、ルパンが愉快そうな笑い声をあげる。 「ああ!あれは傑作だったねえ。まさか君が音読してくれるとは思わなかったよ。」 「くっ・・・・!」 ぎりっと奥歯を噛みしめるジャックを楽しげに見た後、ルパンはジャックにもたれて眠るエミリーに手を伸ばした。 そしてストロベリーブロンドの髪を一筋すくい取ると、恭しくキスをする。 「おい・・・っ!」 「あの手紙でも言っただろ。彼女は僕のお姫様。改めて喧嘩を売りに行くって。」 「・・・・・」 無言でジャックの緋色の瞳がルパンを見すえる。 けれどルパンは今度はジャックとは目を合わせずに、その視線をエミリーの寝顔へとスライドさせた。 お腹も一杯で木漏れ日を受け、とても気持ちよさそうに寝息を立てるエミリーは、まるで本当に眠り姫だ。 「こんな物騒な男二人に挟まれているというのに、ね。」 「・・・・じろじろ見てんじゃねえよ。」 「へえ、彼女のこんなに可愛らしい寝顔を君は見たいと思わないのかい?たいした自制心だね。」 「うるせえ。」 そう言ってぷいっとジャックは顔をそらした。 そんな反応にちらりとだけ目をやって、ルパンは再びエミリーに視線を戻す。 そして、ぽつりと呟いた。 「・・・・本当に、汚れた手で触れるには綺麗すぎるお姫様だよ。」 「・・・・・・・・・」 さああ、っと爽やかな風が梢を揺らす音が吹き渡った。 ジャックが、ルパンが、自分の手に目を落とした。 ―― 触れて良いのか、側に居ていいのか・・・・本当は今でも迷う。 それでも・・・・―― と、その時。 「・・・・ん・・・?」 「「あ」」 風に髪を揺すられたせいか、エミリーがゆるゆると瞳を開いた。 頭上に広がる青い空にも似たブルーの瞳が、はからずも覗き込んでいた二人の姿を写して。 ・・・・とくん、と跳ねたのはどちらの鼓動か。 そんなことを知ってか知らずか、エミリーは数度瞬きすると。 「あ・・れ、もしかして私・・・・眠ってた?」 「あ、えっと・・・・とても、気持ち良さそう、でした。」 素早くルーピンの顔に切り替えたルパンにそう言われて、エミリーは慌てたように体を起こす。 「ごめんなさい!ジャック。寄りかかっちゃってたのね。」 「あ・・・・いや。」 別にずっと寄りかかっていてくれてもかまわない・・・・とは言えないジャックを見て、エミリーには見えないようにルパンが口角を上げた。 その横でエミリーは中庭を見回して慌てた様子で叫んだ。 「もう誰もいないわ。もしかしてもうすぐ授業が始まるんじゃない!?」 「「いや、それは・・・・」」 自分達がまき散らした殺気のせいで人がいないだけ、なのだが、さすがにそのまま伝えられるはずもなくこの時ばかりはルパンとジャックは気まずそうに視線を交わした。 その微妙な雰囲気には気が付いたのか、エミリーは首をかしげたが、その時、ちょうど良いことに始業5分前の鐘が鳴り響いた。 「やっぱり!大変、急がなくっちゃ。」 遅刻したら明智さんに怒られちゃうわ!と笑いながらランチボックスをしまうエミリーに、ジャックとルパンも大人しく従う。 ランチボックスを片付けて立ち上がったエミリーは、ぽんぽんっとスカートの裾をはらうと。 「さ、急ぎましょう!ジャック、ルーピン。」 そう言って、真っ直ぐにその手を差し出すから。 「「・・・・・・・・」」 ―― エミリーはとても綺麗で、自分達が触れていいのか、迷う。 けれど、そんな時はいつだって、彼女がこうして真っ直ぐに手を伸ばしてくれるのだ。 だから ―― 気が付いたら、その手に、笑顔に惹かれて。 「・・・・ああ、行くか。」 先にエミリーの右手を取ったのはジャック。 大切そうに小さな手を握って、ほんの少しだけぎこちない笑みをエミリーに向ける。 「・・・・行きましょう。」 左手のランチボックスをさりげなく受け取ってその手をとったのはルパン。 「え?あれ?」 まさか両方の手を握られるとは思ってなかったらしいエミリーが、一瞬驚いたように目を丸くして。 けれど、すぐに花が咲くような満面の笑みを浮かべた。 「ええ、行きましょう!」 弾むようなエミリーの号令に教室に向かって足を踏み出す刹那、エミリーの頭越しにぶつかった視線は、寸分違わず同じ感情をぶつけていた。 ―― やっぱり絶対に、お前には渡せない! 〜 END 〜 |